チャイニーズ クイーンを聞きながら

祖母の葬式が終わった。
さすがに98歳、享年99歳である。骨の量が少なかった。



さて、3日間の忌引きの間に、憲法の試験を片付けた。
問題は「日本国憲法」の勅語における論理的矛盾について見解を述べよ という1題だけだったが、予想と少し違ったので、さてとと考えた。
ま、なんとか回答をでっちあげる。論理的破綻はないはずだが、破綻のタンを端と書いてしまった。
近頃、キーボードを使うせいか、まったく漢字が書けなくなった。




さて、何か月か前に、柳ジョージが死んだという記事を読んで、すごく懐かしくなった。
知らない人は全然知らないであろう「柳ジョージとレイニーウッド」
僕が大学の研究室にいた頃、夜になると毎晩これをずっとラジカセのテープで聞きながら実験をしていたものだ。
知らぬ間に、曲順まで覚えて、リピートで真夜中まで流し続けていた。(今なら、ヘビロテなどというのだろうが、当時はそんな言葉はなかった)
オートリバース機能を最大限に活用していたなあ。


ゴールデン☆ベスト 柳ジョージ&レイニーウッド

ゴールデン☆ベスト 柳ジョージ&レイニーウッド



「WEEPING IN THE RAIN」 とか「酔って候」とが好きだった。


ツタヤディスカスで見つけ、1か月待ち、やっと届いた。
ベストアルバムなのに「酔って候」が入ってないじゃん。


でも、泣くようなエレキギターがとても懐かしく、当時を思い出す。
体力も集中力もあったのだろう、毎日4時間ほどの睡眠時間で、午前2時まで働いていたのだから。
既に、学生実験の域を超えていたなあ。奴隷だったなあ。




働けど、働けど、先生からは叱られたなあ。
しかし、まあ、それが僕の職業になり、会社の研究室などパラダイスのように楽ちんだった。それは感謝である。
会社は、奴隷ではなくて、給料までくれるもんなあ。数年はこんなに楽なら社会人もいいなあと思っていた。




少しだけしんどくなったなったのは、自分の研究室を、部下を持つようになってからだ。
成果を出すことを要求されたことはなかったが、無言の圧力はあった。
あの頃、実験室で音楽を流したら、部下からヒンシュクを買い、止めたっけ。


あの頃、実験中、集中して音楽を聴くことはなかったが、音楽がある方が僕は実験に集中できるタイプだと信じていた。
ま、部下の好みも聞いてやらねば、静かな実験室を皆は望んだのだから。


チャイニーズ クイーンが流れてきた。どっかで聞いたメロディだ。いつもこの曲を聴くたび思う。
でも、いつも、それを思出せない。