不謹慎極まりない


土曜日

大学のメンバー17人と大いに盛り上がる。忘年会とはいえ、1年など振り返らない。
先の未来があるだけだ。僕一人だけ、大学にはサボらず、良く通ったなと感慨にふける。



喧噪の忘年会が解散になり、カラオケに行くもの、帰る者。僕は一人で飲み屋に向かった。
最初の酒がやってきて、一口、口を付けた時、ちょうど、ビートルズの弾き語り(ピアノ)が始まった。
この店で、弾き語りとは珍しい。いつも生演奏といえばスローなジャズであった。


2口目を口に含んだ途端、携帯が鳴った。なんだろう? いや、誰だろう?
電話は「義父が倒れた」というものだった。既に病院へ行っているらしい。
血管が詰まったのか、切れて出血したのかまだよくわからないそうだ。



ICUに入っているため、義母は義妹は既に家に帰っており、そこから連絡があったのだと聞く。
「何時に帰る?」「10時25分で」
「10時5分があるじゃない」「まあ、いろいろあるんだ、それに、今更慌てても仕方ない」



いろいろはない。これから何をすべきか考える時間が欲しかっただけである。
2杯目、3杯目の酒を飲みながら、これからの段取りを考えた。




正直に言おう。簡単に死んでくれればいい。
義母の面倒は義妹が見てくれるだろう。


しかし、高度な障害が残った時、さて、僕らはどうすればいいのか。
現実的で、まだ何もわかっていないのに不謹慎である。しかし、現実、そうなるとリハビリに付き合うだけでも結構大変なのである。





さて、家に帰ると、意識が戻ったと聞く。あまり障害は残っていないようだと連絡があったらしい。
安堵する。果たしてどちらに安堵したかと聞かれれば両方である。これが現実だ。



日曜日



朝から病院へ行く。
義母たちと10時に待ち合わせていたのだ。ICUは10時からしか面会できないらしい。
義父は思いのほか、元気で、午後2時から検査を受けて、異常がなければ個室に移れるらしい。
義父は元気だったが、どこかしらぼんやりして、シャキっとした表情をしていない。



僕らは、少し近況を話し、義父の病が軽かったことを喜んだ。
12時近く、仕事に出かけた。後はまかしておけ。



お昼をゆっくり食べた後、14時になったので、ICUを再び尋ねる。
既に検査は終わっていた。なんじゃそれ?。
医者が来て、CTを見せながら、出血(脳内出血だったのだ)は止まっているようです。
これから、個室へ移ります、と言った。



さすがに、金持ちの私立の大学付属病院である。個室の方が数が多い。
4人部屋は5つしかなにのに、個室は20以上ある。


義父はまだ、状況がよくわかっていないようだ。
デイルームで看護師から説明を受ける。
義母は昨夜聞いていた入院の準備をしてきたが、今回の説明では、全然準備が足りないことを指摘された。
面倒な病院だ。


窓から見えるスーパーや100円ショップへ3人で買い物へ。
義父に「一人で大丈夫か」と聞いたら「大丈夫だ」という返事。



知らない街で買い物をするのはかなり疲れる。
洗面器1つ探すのも大変だった。靴やら、箸やらストローや、パジャマを買って病院へ戻る。



部屋に義父はいない。
というより、ベッドごとない。


そこへ、いそいそと看護師と医者がやって来る。
義父は尿道に入れた管を無理に抜いて、血尿が出ているらしい。
「今日は申しわけありませんが、監視ができる部屋に寝てもらいます」
「もし、また抜くようなことがあったら困るので、拘束しても良いという承諾書にサインをください」
ま、しないわけにもいくまい。


義父に義母が丁寧に説明していたが「わしが、そんなことを?」「おう、わかった」とまるで手ごたえがない。


主のいなくなった部屋で、荷物を片付け、僕らは義母を送っていき、今後のことを話した。
気丈な義母は自分でできることは自分でするいうが、母も昨年入院した体である、無理はさせられない。
その上、今度の病院は電車でも結構遠い。
ま、義妹とも相談しよう。それに、義父の調子いかんである。





明日から、今週は忘年会が2回ある。
どれも幹事で、外せない。不謹慎であろうか。そうに決まっている。
酔っぱらっていれば、イザという時駆け付けれもしない。
ま、不謹慎に生きてきたんだ、今更、真面目なふりをしても仕方ないだろう。



そんな、こんなで、家族に病人が出ると、結構大変だという話である。