盛岡テクテク
盛岡といえば石川啄木とジャジャ麺である。
これだけは外せない。
まず、でんでんむし号で「光原社」へ。
まだ、開店まで少々時間があったので、曹洞宗の小さなお寺へお参りに。
行き行き、お賽銭を用意して。
あれ?お賽銭箱がない。よく考えれば、神社じゃないのだ、お寺なのだ、お賽銭箱があるはずがない。
それでも、ご利益のありそうな石の像に積み重ねて置いてきた。1円玉の塔であるが。
光原社は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を発刊した出版社として創業されたが、現在は雑貨屋さんとして営業している。
いいセーターがあったのだがね(スウェーデン製)荷物はこれ以上増やせない。
家内と母に小さなハンカチを買っておいた。
それから、野イチゴのジャムと山ブドウのジャムの小瓶を買った。これくらいならなんとか入るだろう。
そうそう、雨の方は夕べは降っていたが、今日はなんとか持ちそうだ。
再びでんでんむし号で「可否 六分儀」という喫茶店に行った。
バスの中で、隣のおばさんが、何故盛岡には喫茶店が多いか30分は講義をしてくれた。
そして、僕の「六分儀」の選択は正解だと言ってくれた。
六分儀は、つぶれ掛けた焼肉屋の隣にひっそりと奥まってあった。
磨硝子のドアを開けると電車のように2列にテーブルが並んでいた。
客は僕一人ではないか。何たる幸運。僕は濃いめのブレンドを頼んだ。
流れているのは知らない曲ながらシャンソンである。う〜んなかなかやるな六分儀。
僕のコーヒーが運ばれて来るのと同時に、一人の女性が入ってきた。
年齢がわかりにくい。30歳と少しくらいであろうか?
ホットサンドとカフェオレであろうか(大きなカップだった)注文し周りのリトグラフを眺めている。
彼女の頼んだ、ホットサンドが美味しそうで、僕はレアチーズケーキとおかわりのコーヒーを頼んだ。
何が切っ掛けだろうか?僕と彼女は会話を交わしていた。(この辺が、昔とった杵柄というものである)
僕は女性と仲良くなるのは自信がある。まあ、仲良く止まりが問題だが。
彼女の写真(盛岡美人)観光客ではないそうで、時々来るのだそうだ。
調度、レコードが終わった。何かリクエストはあるかとママさんに尋ねられる。
え?シャンソンなんぞ、エディット・ピアフくらいしか知らんぞ。
彼女の了解を得てピアフをかけてもらう。
古いレコードらしい、しわがれたピアフが流れてきた。
さて、おしゃべりに夢中で、予定時間を45分くらい過ぎてしまった。啄木とジャジャ麺はどうした?
さて、石川啄木であるが、「啄木・賢治青春館」までテコテコ歩いて行った。
なんとここは無料である。なんとか財団というところが運営しているそうな、立派である。
僕はそこで、啄木に憧れて「一握の砂」を買った。
好きな歌を2つほど、
高きより飛び下りるごとき心もて
この一生を
終わすべなきか
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
(僕はずっと「いたしむ」と覚えていたんだ)
さて、最期はジャジャ麺である。
ジャジャ麺といえば「白龍」(パイロンと読む)である。
行ってみて驚いた。まあ昼時を少々過ぎたはずなのに、この行列はなんなんだ。
20分ほど待ってみたが行列は遅々として進まない。
このままでは「田沢湖線」に遅れてしまう。
斜め向かいにある「パイカク」という店もジャジャ麺をやっている。
この際である。流行っていないといっても白龍の前で店を張っている以上、そこそこではないか?
僕は行列を抜けパイカクに入った。
愕然、兄ちゃんが一人、それもラーメンライスを食っている。
それでも僕は気を取り直してジャジャ麺を注文する。
きしめん風の麺の上に蟹味噌風の味噌が乗っかっている。
「まず、そのまま食べてみて。感じが掴めたら、そこにある生姜とニンニク、ラー油を掛けまわして・・・・」マスターのありがたいアドバイス
何故なら、味噌だけでも十分辛いのだ。
生姜を少し入れると少しだけマイルドになるが、僕は味噌を横にやりやり飛べ続けた。
ラー油なんぞ無謀すぎるぞ。
こうなってみると白龍の味がどうなのか気になるところだ。
値段はお腹一杯になって¥550と良心的であった。